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ハザードマップと過失

長野地裁令和3年2月2日判決
弁護士 山口修司

1. 事案の概要

本件は、令和元年10月、長野県に襲来した台風19号によって千曲川が氾濫し、原告が展示販売のために被告店舗に預けていた車両が浸水水没したが、被告店舗はハザードマップ上浸水危険のある地域に存在したため、原告が被告に対して委託販売契約に基づく注意義務違反があったとして債務不履行に基づく損害賠償請求を求めた事案です。
裁判所は以下の通り認定し、ハザードマップによれば被告店舗が浸水想定地域にあるものの、台風接近に伴う予報から河川の氾濫及びそれに伴う浸水を被告が予見できたとはいえないとして、被告の過失を否定し損害賠償請求を棄却しました。

2. 裁判所の認定

(1)ハザードマップの意義
ハザードマップは、長野市内を流れる千曲川等の河川が大雨によって氾濫した場合に浸水が想定される区域とその浸水の深さを国及び県が指定/公表した浸水想定区域に基づいて示したものである。ハザードマップには、想定した降雨の規模(想定最大規模降雨)として、千曲川については「1000年に1回程度の降雨」である2日間で396mm(流域全体)と記載されている。被告店舗の所在地において想定される浸水の深さは「5.0−10.0m以上」と表示されている。

(2)予見可能性
台風19号で増水した千曲川は、長野市穂保の堤防で越水し、その越水と侵食により堤防が決壊したために河川から氾濫した大量の水が、被告店舗所在地を含む広範囲の地域に流れ込み、本件水害が生じたものと認められる。そこで、台風19号に伴う大雨により千曲川の堤防が決壊し、氾濫することが予見できたか否かについて検討する。

(3)予報と予見可能性
台風19号については、事前に非常に強い勢力を保ったまま上陸する見込みであること、広い範囲で記録的な暴風及び大雨となる恐れがあることが報道されており、11日から12日昼頃にかけての報道では、関東甲信越地方についても、多いところでは24時間雨量が300mmないし600mmに達するとの予報がされていたことが認められる。
しかしながら、上記雨量に関する予報はあくまで関東甲信地方というごく広い範囲の中で、しかも最も多く降る場所(どこであるかは予報されていない)についての予報であるから、上記予報だけでは長野県や長野市といった特定の地域にふる雨量を具体的に予見することができず、しかも、雨量のミリ数だけでは、千曲川の長野市内の堤防といった特定の河川の特定の場所で氾濫が起きるということまで予見することは極めて困難というべきである。

(4)ハザードマップと予見可能性
原告は、ハザードマップの記載に拠れば、台風19号の予想雨量に照らして当然に被告店舗の浸水被害が予測できたと主張する。
しかしながら、上記ハザードマップはあくまで想定最大規模降雨により河川が氾濫した場合に浸水が想定される区域及び浸水した場合に想定される水深などを明らかにしたものであって、当該河川がどの程度の雨量で氾濫するかを示したものではない。そして、12日午前1時から14日午後12時までの48時間の長野市内の降雨量は142mmにすぎなかったと認められ、上記ハザードマップに示された雨量を大きく下回っていた。
そうすると、台風19号による千曲川の氾濫は、そもそもハザードマップの想定最大規模降雨を超えたために発生したものでないと認められるから、ハザードマップに記載された降雨量の数値に基づいて千曲川の氾濫及び本件水害を予見することができたということはできない。

(5)警報と予見可能性
長野市では、12日午前10時56分には、大雨(土砂災害)警報及び洪水警報が発表され、さらに、同日午後3時30分には大雨(浸水害)特別警報が発表されていたことが認められる。
もっとも、河川の特定の箇所を流れる水量は、当該箇所により上流域の降雨量に左右されるのであるから、長野市において数十年に一度の大雨が降ることが具体的に予想され、大雨特別警報が発表されたからといってそのことから直ちに長野市穂保の千曲川の堤防越水を予見できたものと言いがたい。

(6)被告の台風対策と予見可能性
被告代表者は、12日の夕方、本件車両を被告店舗のピット内に避難させた上、午後5時半頃に通常より早く被告店舗を閉めて帰宅したことが認められるところ、原告は、被告自身も被告店舗付近で何らかの被害があることを想定していたと主張する。
しかし、台風の暴風による飛来や倒壊は、台風被害として比較的頻繁にみられるものであるが、堤防の決壊による河川の氾濫は、台風被害として頻繁に発生するものといえないことからすれば、被告が上記の通り台風の暴風による被害を予想してこれを避けるために本件車両をピット内に避難したことがあるからといって、そのことから被告が同様に千曲川の氾濫を予想して本件車両を浸水予想区域外に移動すべきであったということはできない。

(7)避難指示と結果回避義務
長野市の長沼地区・豊野地区には、12日午後6時に避難勧告が出され、同日午後11時40分には避難指示が出されていたことが認められ、特に避難指示が出された時点では、千曲川の氾濫のおそれがかなり現実的なものとなっていた。
しかし当時、被告店舗は閉められ、従業員及び代表者は帰宅していたのであるから、そこから被告代表者が被告店舗に戻り多くの車両を移動させるのは困難であり、かつ相当の危険を伴うものであったと考えられる.本件契約は、被告店舗における本件車両の展示販売とされていたことを鑑みても、本件契約の性質や取引上の社会通念に照らして、被告が、上記危険を冒してまで、本件車両を浸水予想地域外に移動させるべき義務を負っていたとは解されない。

3.まとめ

裁判所は、ハザードマップ内の浸水区域内に蔵置してあった車両が、台風19号の大雨による千曲川の氾濫のため水没した事案について、車両の委託を受けていた被告に、予見可能性がなかったとして、原告の損害賠償請求を棄却しました。この千曲川の氾濫では、北陸新幹線の車両基地も水没し、新幹線の車両が被害を受けたことで有名です。
近年、台風だけでなく線状降水帯の大雨による洪水や山崩れによる大規模損害が発生しています。そのような場合、顧客の物品を預かっている運送人や倉庫業者の責任が問われることがあります。本件判決は、ハザードマップの性質、台風の予報、警報発令、避難指示発令などの論点についてきめ細かい認定を行って、被告の予見可能性及び結果回避義務の存在についての判断を行っていますので、今後の事案の参考になると思います。